一般公開用「学光」秋号
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「平和教育」の推進、「教育のための社会」の実現を目指してTukyoStor y 10weivretnI▼小学校の教頭としてGraduateもできん人間が、教師になれるわけないやろ!」と涙ながらに叱ってくれたのです。その言葉に心を打たれ、その日から「絶対に4年で卒業する」と決意し、生まれ変わったように本気で勉強しました。卒業生インタビューです。「先生も自分と同じ境遇なのか。じゃあ信用してみよう」と思ってくれるのかもしれません。高校時代の写真(右側から2番目が荒井さん)働く荒井さん卒業生兵庫県在住19私も教師になりたい! 中学1年生の頃に両親が離婚。経営していた会社も倒産し、父は失踪してしまいました。その後、家が競売にかけられ、知らない人が家に乗り込んできては、お金になりそうなものに札が貼られていく…。「うちだけ、なんで、こんな不幸なん?」と、ふてくされて生きていました。そんな時、創立者の小説「人間革命」を読了し、教師であった牧口先生、戸田先生の“生きざま”に感動。また、高校時代から近所の子供と触れ合う中で「子供が好きだ」と思うようになり、いつか教師になることが目標になっていました。 しかし、高校時代の学力は下の下、志望していた体育大学の入試前日には靱帯を損傷し、精一杯やり抜いたものの結果は不合格。どうすべきか悩んでいたところ、母の知人が「創価大学通信教育部」を紹介してくれました。通信教育部で「小学校の教員免許」を取得できることがわかり、造園会社で働きながら、挑戦することにしました。人生の転機となる先輩の一言 しかし、入学した当時、友人の誘いに負けて毎晩遊び放題、気がつけば六甲山を攻める「走り屋」になっていました。勉強は進まず、卒業にはほど遠い状況でした。そんなある時、いつも優しく励ましてくれていた地域の先輩が「何の努力「働きながら学ぶ」という財産 学修で心がけていたことは「3倍努力」です。働きながら学ぶということは、とても大変なことでしたが、人と同じ努力では、到底、卒業が間に合わなかったからこそ、“時間が無い”ことを言い訳にせず、仕事の休憩時間や電車に乗る時間、信号を待つ時間、お風呂場でも勉強しました。そして「苦労して、それをやり遂げていくところに、本当の修行があり、鍛えがある。また、その苦労が、諸君の生涯の財産になるのです」との創立者のご指導を胸に努力し続けた結果、4年間で卒業することができました! こうして自分に自信がつき、強い自分になれたのも、通教での4年間があったからです。植木職人から小学校教諭に 教員採用試験には2回目の挑戦で合格することができましたが、植木職人から、いきなり教壇に立ったこともあり、苦労の連続でした。 その中で、私は生徒指導を担当することが多く、いじめや不登校、暴力、虐待など、様々な問題に直面しました。先生になって驚いたのは、両親の離婚や落ちこぼれ、暴走行為など、私自身が過去にしてきた経験が指導に生かされたことです。家庭に問題を抱えていたり、人間関係に悲しみを感じている生徒に「実は、昔なぁ…」と自分の体験談を話すと、「え、先生にもそんな過去があったんか」と、急に表情が変わり、話を聞いてくれるの 「第63回読売教育賞 最優秀賞」受賞 40歳を過ぎた時、兵庫教育大学大学院に入学し、「教師と生徒の関係を構築する」というテーマで研究を重ね、学校心理士の資格も取得しました。そして、修学旅行先の広島で被爆者の体験に心を打たれた児童たちと平和の尊さを訴える平和イベント「PEACE FORUM」を創りあげた実践が「第63回読売教育賞最優秀賞」を受賞(2014年)。同じ年に「牧口記念教育基金会 奨励賞」も受賞しました。創価教育の体現者として 現在は、小学校の教頭として、教師、保護者、地域の方々と、子供達の幸福のために頑張っています。また、「核兵器のない世界」の実現に向けて、SUNPEACEというサークルを立ち上げ、地元三田市に残る戦争の傷跡を、未来の子供達に伝えるための活動をしています。「平和教育」の推進、「教育のための社会」の実現を目指し、学校運営協議会等を活用して、学校が地域と一体となって、子供達を育む学校づくりに情熱を注いでまいります。01荒井 隆一さんTukyo

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