一般公開用「学光」秋号
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看護師として社会教育士として地域に貢献をしていきたい20weivretnI▼内視鏡技師として Interviews卒業生熊本県在住田中 克恵さん在学時に立てた学習計画表働く田中さんスクーリングで出会う学友たちの友情であったといいます。「一人じゃない」と踏ん張って、卒業を勝ち取り、さらには看護学校の専任教員の採用も勝ち取られ、「創価教育の体現者に」と活躍してくれております。』 メッセージを読み、「必ず何か意味があるはず。ここで退いてはいけない」と奮い立ち、教え子が看護師資格を取るまでは自分の責務と捉え、とにかく学生のために歯を食いしばって頑張りました。学生たちが実習期間中で、会えるのは週2回でしたが、国家試験前の面談の機会に、学生と真剣に向き合うことで心を通わせ、信頼関係を築くことができました。その結果、卒業後も近況報告してくれる学生や、関わりが少なかった学生から手紙を頂いたりと嬉しいこともありました。創立者からの激励が無かったら、途中で放り出していたかもしれません。 思えば、創立者が創価大学のご構想を発表された時に、父がわずかながらも寄付をさせて頂いたことも、こうして私が創価大学で学び、卒業生として頑張ることができる今に繋がっているのだと感じています。LIGHT OF LEARNINGvol.220いつか創価の学び舎で 学びたい 「創価の学び舎で学びたい」との思いで、高校時代に創価大学の受験に挑戦しましたが、残念ながら結果は不合格。経済的な理由から、働きながら看護学校へ進学しました。その後、結婚、出産、育児等に追われ、いつしか創価大学で学びたいとの思いは薄れていきました。 子育てを卒業した頃、母から「創価大学の通信教育部を受けてみない?」と勧められ、せっかく勉強するのなら正科課程で創価大学に入学し、最短で卒業しようと決意し、3年次編入学をしました。友人・家族に支えられて勉強や仕事、家事、諸活動との四立はとても大変でしたが、科目試験やスクーリングで知り合った仲間、友人との交流を深める中で、「一人ではない」と自分を鼓舞し、挑戦し続けました。もう一つ支えとなったのは夫の存在です。明け方まで部屋の電気をつけてレポートを作成する日も、夫は文句ひとつ言わずに学習環境を整えてくれ、スクーリング期間中も子供達の面倒を見てくれました。友人たちとの交流、夫の支えがあり、2018年3月に目標だった2年間での卒業をすることができました。卒業後の新たな挑戦 卒業後は、看護学校の専任教員として働き始めました。教師という立場で学生と触れ合うのは初めてで、どう関わったら良いか分からず不安な中でのスタートでした。学生や保護者、同僚の先生方とのやり取りでは、今まで経験したことのなかった人間関係にも悩み、苦労しました。 そんな中、仕事中に通教の先輩から電話が入り、2018年8月21日に開催された「学光祭」に創立者からいただいたメッセージの中で、私のことを紹介してくださっていることを教えてくれたのです。とてもびっくりし、更衣室で大号泣したのを覚えています。創立者からの激励を胸に 『今年三月に、晴れて卒業した熊本の看護師の女性の方からも、見事な挑戦の足跡を伺いました。お母さまの勧めもあって我が創大通教に編入学を決意した矢先に、病気を患い、手術のため入学式には出席できませんでした。さらに入院中に、一昨年四月の熊本地震が発生したのです。しかし、相次ぐ試練にも挫けることなく、リポートの作成や試験に挑戦を続けました。その支えとなったのは、「抜苦与楽」の看護師に 現在は、臨床が恋しくなり、私の看護観「抜苦与楽」を胸に、患者さんが健康になるサポートを常に考えながら、熊本市内で看護師として内視鏡技師の仕事に就いています。 また、今年の4月からは、社会教育士の資格を取得しようと、科目等履修生として、通信教育部での勉強を再開しました。今後も、看護師として、社会教育士として、地域に貢献をしていきたいと思います。02Story

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