一般公開用「学光」冬号
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第47回学光祭記念講演/特集人間教育論B5『評伝戸田城聖 上下巻』、『評伝牧口常三郎』横浜市内で少女たちとともに(大阪府立図書館所蔵)長崎新聞(昭和20年10月15日)(長崎県立長崎図書館所蔵)中国新聞(昭和21年2月6日)(広島市立中央図書館所蔵) そして、2001年11月、創立者池田先生と牧口先生・戸田先生、創価大学の歴史を研究する機関として創価教育研究センター(現研究所)が設立された際、事務長にしていただきました。 2012年秋からは「創価教育の源流」と題した雑誌連載に携わらせていただき、10年かけて、『評伝牧口常三郎』『評伝戸田城聖 上下巻』の三冊が出版されました。今年は「池田大作が”戸田大学”で学んだこと」という論文を、アメリカ・デポール大学の大学院生に講義した内容に加筆をし、発表しました。 創立者は、通信教育部開学式のメッセージで「私自身のことをいえば、私は学問の道を途中で断念せざるをえなかった。そのかわり、恩師戸田先生に、さまざまな学問を教えていただきました。それは、文字通り、人生の師と弟子との間に“信”を“通”わせた教育でありました」とあります。これは、創立者にしか語れない言葉です。 “信”を“通”わす教育のなかに、創価教育の肝要な部分があります。それは、牧口先生以来継承されてきた大きな志を共有することです。 先日、新渡戸稲造博士の手元にあった『人生地理学』を調査する機会がありました。日露戦争最大の陸と海の戦いがあった1905年、この年の3月に京都で購入したものです。『人生地理学』を読んだ博士は、深く感じるものがあったのでしょう。牧口先生に、励ましの手紙を送っています。 戦争が続くなか、牧口先生は、高等女学会の立ち上げに『高等女学講義』(創価教育研究所所蔵)また、戸田先生が戦後朝日新聞に広告を出していたことから、牧口先生も新聞広告を出していたはずだと考え、最終的に100を超える全国の新聞や雑誌に広告や新刊紹介などが見つかりました。 広告に、大日本高等女学会の出版物として、『大家庭』という雑誌を発行していたとあったので、早速検索すると1冊だけ東大にありました。このことを創立者に報告し、さらに、論文『牧口常三郎と通信教育』を発表しました。それからは、本来の仕事とは別に、創立者に牧口先生に関する新発見を毎月のように報告、そのことが喜びになりました。『大家庭』等女学会という名称で、『高等女学講義』を発行していたこと、設立時期が1905年5月頃であることがわかりました。奮闘しました。牧口先生の通信教育の特色は、「考え、判断できる聡明な庶民女性」を育てることにあります。また、経済的に恵まれない少女たちにも、学ぶことで自立の機会を与えるものです。こんな通信教育は他にはありません。そこには、苦学した自身の少年時代の経験がありました。 その心は、戸田先生に受け継がれ、戦時下にあって、思うように学べなくなった子どもたちに通信添削という方法で学習の機会をつくりました。1万2千人もの小学校(途中から国民学校)5・6年生が添削に応募しました。 治安維持法違反・不敬罪の容疑で牧口先生とともに検挙され、投獄された戸田先生が、出獄後最初に取り組んだのが通信教育です。その広告は、50を超える新聞に掲載され、原爆が投下された広島の新聞に23回、長崎の新聞に16回も出ています。戦争末期、中等教育が原則一年間停止され、空襲によって街も学校も焼け、教師も四散しました。この時期に約一年間、通信添削を行ったのです。 戸田先生は、池田先生をはじめとする青年の育成だけでなく、百万を超える人々に学びの場を作りました。その心を誰より知っていたのが、池田先生です。池田先生が創価大学に通信教育部を開設することは、牧口先生・戸田先生の心を継承したものだったのです。 通教生の皆様に心からの敬意をお伝えするとともに、さらなる研鑽をお誓いし、話を終わります。(2022年8月16日)

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