Pick Up 通教生15被災後のご自宅玄関の様子何よりも励みとなった創立者の句文学部人間学科 4年次越後 和子 さんけささち在校生イ 納得いくまで、じっくり学ぶ 地元の秋田大学の教育学部を卒業後、秋田で約30年、中学校の国語教員として働きましたが、夫が病気で介護が必要になったため早期退職。その2年後、夫は他界しました。「何か張り合いのあることをしたいな」と思っていたころ、ある会合の席で、学生証を見せながら「私は創大の現役通教生です」とお話しされている方がいらっしゃいました。その方のとても楽しそうで充実した姿に心を動かされ、通教経験者の宮城県の方に、「私でもできるでしょうか」とご相談すると、「東日本大震災で被災した私にもできたのだから、あなただってできるよ」と励まされ、2014年に通教法学部に入学しました。 あまり縁のなかった法律の勉強に最初は戸惑いもありましたが、スクーリングで、わかりやすく説明をいただき、理解が深まりました。時間がかかっても、「人に説明ができるようになるまで、自分で納得がいくまで」「わからないままにしない、わからないままレポートを書かない」というのが私の勉強法。テストやレポートの範囲だけではなく、その分野の知識の全体像を把握するように心がけ、6年間で40単位と数は少ないものの、全て「A」評価で単位を修得できました。一字、一行を重ねた先に 2018年の通教文学部開設を受けて、2020年に転学部。ところが、時を同じくして腰を悪くして入院。長時間座っていられないという、勉強を続けていく上で支障のある状態になってしまいました。「これ以上通教を続けるのは無理かもしれない」と弱気になることもあった私を奮い立たせたのは、創立者の指針でした。中でも機関誌『学光』400号への特別寄稿にある「勉学の時間がとれず、悩んでいる方もおられるでしょう。しかし、たとえ一行でも読む。一字でも書く。その執念の前進と挑戦の中に、必ず勝利の道が開かれることは間違いないのであります」との指針に勇気をいただき、「一日一行でもテキストを読もう」と挑戦。病状の回復はきわめてゆっくりであり、長時間集中して勉強するということは難しかったのですが、自分の体と相談しながら少しずつ取り組みを重ねました。2023年に入り「これならばできるかも知れない」という科目を絞り込んで学修を開始。文学部に転学部した後、初のレポート提出にこぎつけました。引き続きオンデマンドスクーリングを申し込み、メディア授業を細かく何回かに分けて視聴するなどの準備を重ね、最終試験に臨もうという矢先、わが家は秋田県を襲った前代未聞の豪雨災害で深刻な被害に見舞われたのでした。被災後に勝ち取った「A」評価 避難所から、床上浸水した家に戻ると、床は汚泥で覆われ、家財道具等はほぼ使い物にならず廃棄しなければいけない状態に。教科書も使えなくなりました。何から手をつけてよいのかもわからない、本来なら、勉強どころではないはずなのですが、「ようやくここまで来たのに最終試験が受けられない!」という悔しさを何より強く感じていました。家族や、かつての教え子などの知人・友人、ボランティアの方々など、たくさんの助けや応援をいただき、1カ月後には不完全ながら居場所を整えた家に戻り、少しずつ普段の生活を取り戻し、勉強も再開。「負けるなと/今朝も祈らむ/友の幸」との創立者の句が、何よりの励みとなりました。また、大学からも新しい教科書をそろえていただくなど、ありがたいご支援をいただき、温かいご配慮のおかげで、本来は受講期間中に受ける必要があった最終試験を11月の科目試験で受験し、「A」で単位を修得することができました。 被災の経験を通して、創大の通教生として学んでいることが「当たり前のこと」ではなく、いかに「貴重なこと」なのか、「学ぶ機会」「挑戦の機会」を与えられていることが、いかに尊いことなのかを実感しました。以前は、「何かになる」ために学ぶのではなく、「学ぶこと自体が目的」とも思っていましたが、現在は日本語教師の資格を取得して、学んだことを活かして「一人でもいいから誰かの役に立てれば」と思うようになりました。2030年3月までの卒業を目指し、時間はかかっても自分らしく、学びの道を歩んでいきたいと思います。秋田県在住Student Pick Up
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