連載第1回 創価教育と通信教育の歴史第1回 2519は、紆余曲折を経ながら普及していきます。 長七は、1877年に牧口善太夫の養嗣子となり、その後、第六大学区第四中学区私立第四番小学第一分校(後の荒浜小学校)で学んでいます。当時は不就学者の割合が高く、荒浜村では1874年時点で学齢児童のうち就学者の数が17%程度でした。家業の手伝いなどで、行きたくてもいけないような状況があったのだろうと思います。1884年頃には、牧口は親類を頼りに北海道の小樽に移り住みました。そこから1889年4月に札幌の北海道尋常師範学校に入学するまでの約4年間について、詳細は分かりませんが、小樽警察署の給仕をしながら独学で学んでいたようです。北海道尋常師範学校での学びが、1893年3月に同校を卒業してからの牧口の仕事や著作に大きな影響を与えていることは言うまでも創価大学非常勤講師岩木 勇作 今号から「創価教育と通信教育の歴史」と題した新連載が始まります。本連載は「近代日本教育史」を専門分野とし、牧口常三郎先生を取り上げた複数の論文や著作を発表している、創価大学非常勤講師の岩木勇作氏が執筆します(6回完結を予定)。通教生にとって創価教育と通信教育の歴史を学ぶ、貴重な機会となることでしょう。是非、次号以降の連載にもご期待ください。 渡辺長七(後の牧口常三郎)は、1871年(旧暦)6月6日に現在の新潟県柏崎市荒浜で生まれました。1873年からは日本でも太陽暦が採用されるため、旧暦の6月6日は新暦で換算すると7月23日になります。ただし、牧口自筆の履歴書を確認すると、生年月日欄には「6月6日」と記載されているため、改暦後であっても6月生まれという意識があったようです。改暦を一つの例として取り上げましたが、牧口が生まれ育ったのは、このように日本の近代化により様々な制度・文化・習慣が目まぐるしく変わっていくような時代でありました。教育の分野においても、1872年8月に学制が公布され、日本で初めて近代学校制度が法令として定められました。学制という青写真をもってスタートしますが、教育の現状を鑑みて修正、近代化への反動から改められるなど、近代学校制度若き牧口常三郎 創価大学は2021年に開学50周年を迎えました。開学後に設置された通信教育部も2026年に50周年を迎えます。本連載では、通信教育部50周年に先立ち、改めて、創価教育と通信教育の結節点である牧口常三郎、戸田城聖、池田大作という人物を歴史的な視点から深掘りし、創価教育における通信教育の意義を明らかにしていきたいと思います。創価教育と通信教育の歴史若き牧口常三郎とその時代
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