学光春夏号(2024)
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連載第四回 「池田思想研究の新しき潮流」より(2)「主体性」の確立と「慈悲の精神」の涵養 池田が、教育学の視点から、人間教育について明確に言及してい おごそかくり上げ、後世に残し、伝えていこうというのが、本学の精神であり23点がある。何十年、何百年先のために、その人間教育をみんなでつます」(池田 2006.p.193.) として、人間教育こそが、創価大学の重要な生命線であることに言及している。 その上で、創価大学が目指す人間教育の底流には、「牧口常三郎の創価教育を根本にした大学であり、さらに、その根底には、仏法の人間主義の哲理がある」(池田 2006,p.118.) として、大学が掲げる人間教育の根底には、牧口の創価教育の理念があり、その奥に、仏法思想が息づいていることに言及している。仏法は、人間の生き方や人生そのものに迫る哲理であるがゆえに、それは、人間形成を使命とする教育の基盤になくてはならない。 牧口は、『創価教育学体系』の中で、宗教的価値に言及しつつ、人を救うことを抜きにして、宗教の社会的存立の意義はないとの考えを示している。その上で、一例として、涅槃経の法四依の一節である 「依法不依人 (法に依って人に依らざれ)」という法理が、法則の認識や人生規範の定立を以て任とする、科学の本旨とも一致することを指摘しつつ、こうした仏法の考え方を拠りどころとして進むことができれば、科学と宗教、教育と宗教との帰一は、期して待つべきところであるとしている(牧口 1972.『創価教育学体系Ⅱ』pp.186-204. )。 池田自身もまた、こうした牧口の仏教を根底にした人間観、教育観を継承しつつ、仏教思想を基盤にした人間主義、人間教育の重要性を示唆している。教育は、人間の形成と最も深くかかわる営みである。ゆえに、宗教的基盤を欠いた教育は、あたかも羅針盤を失った船舶のようなものであり、目的や方向性そのものを見失ってしまう危険性がある。 そして、池田が目指す人間教育は、本稿の「3.創価大学通信教育部の設立の精神」の(2)で述べたように、その根底には、「“信”を“通”わせた教育」、すなわち、牧口と戸田 戸田と池田の関係に象徴されるように、「師弟の関係」を大切にする教育観が、一貫して流れている。師弟という清らかで強い信頼感に裏打ちされた水脈が地下に流れているからこそ、個の人格の完成と他者への慈愛という湧き水を、地上にもたらすことが可能になる。真の人格形成は、教育という営みの基盤に、人間を尊重する仏教の思想的基盤と、師弟という厳な人間対人間の関係を見失わないことで可能になる。師と弟子の人間関係は、人間と人間とのあらゆる結びつきの中で、最も美しいものである。それは、師と弟子が共に同じ道を求める関係であり、互いの生命と生命が共鳴し合う関係であり、池田の人間教育を語る上で、きわめて重要な基盤である。るのは、小説『新・人間革命 (第23巻)」の「人間教育」の章である。この中で、池田は、「人間教育」について、次のように述べている。 「人間教育の理想は、『知』『情』『意」の円満と調和にあります。つまり、『知性』と『感情』と「意志」という三種の精神作用を、一個の人間のうちに、いかに開花させていくかが課題であります。」(池田 2015,p.258.) 知情意とは、人間の精神活動の根本をなすものである。人間は、本来、知情意を兼ね備えた全体的な存在である。この知情意の調和のとれた人間の育成こそが、人間教育が目指す道である。 池田は、こうした知情意の調和のとれた人間を創るためには、

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