Tukyo Story17高校時代に不登校を経験。理由は一つではありませんが、一番大きかったのは家族が抱えるALS(筋萎縮性側索硬化症)という病でした。祖父、母の発症と闘病を見て「次は自分も」と考えるようになり、そのことを“言い訳”にして学校に行かなくなりました。その時、足しげく会いに来て下さったのが、中学時代の恩師たち。「どうせ学校に行けと言われる」と構えていましたが、そうではなく、ただ会いに来てくれる恩師の気持ちが嬉しく、再び登校するようになりました。しかし、勉強の遅れを取り戻せず成績は最下位レベル。友達もおらず、トイレで昼食をとることもありました。それでも、高校の先生方は粘り強く励まし続けてくださり、様々な助けもあって最後にはたくさんの友達ができ、無事に卒業。人生を変えてくれた恩師たちへの感謝と憧れから、自分も教師になりたいと強く思うようになりました。目標は定まっても「この成績では進学できる大学がないな」と悩んでいた時、家族に勧められたのが創大通教。「学ぶことから逃げてきた自分を変えよう」と入学を決意しました。朝から夕方までアルバイトをし、その後に地域の活動にも取り組み、教科書を開いてレポートに取り組むのは日付が変わってから。そんな日々の原動力となり、支えとなったのは、地元・福岡の学友たちと、創立者の存在でした。スクーリングで出会った学友たちそれぞれが、仕事や家庭など、様々な事情がある中で負けずに学んでいることに刺激を受け、私も心に残った創立者の言葉や自らの目標や決意を綴って皆によく連絡をしました。互いに励ますことで、励まされ、やり抜くことが出来たのだと思います。そんな中、2009年10月の創大祭で初めて創立者とお会いしました。当時は壁に突き当たり悩んでいた時で、嬉しさ以上に不甲斐なさを感じ、「次にお会いする時こそは」と決意したのですが、創立者の創大祭へのご出席はその年が最後となりました。「次」ではなく、「今」できることをやり抜くことの大切さをあの時に教えていただいたのだと思っています。4年間で通教を卒業し、創大教職大学院を経て、2017年に北九州市の小学校の教員に。夢を叶えたその年に私自身もALSを発症しました。病気は徐々に進行し、左足の筋力はほぼ失われ、右足にも症状が出始めました。現在は走ることはできなくなり、階段を上ることも難しくなってきましたが、「今」できること、「今」目の前にいる子どもたちのために、小学校教員として授業に全力で取り組む全力で向き合おうと決めています。2年前には合唱部の顧問に就任。音楽の専門知識も、合唱指導の経験もありませんでしたが、子どもたちのひたむきな思いに応えたいと研究を重ね、一昨年の全日本合唱コンクール全国大会で「金賞」を受賞しました。昨年11月12日、2年連続の「金賞」に輝いた日も勝利の結果を速達で創立者にご報告。創立者がご逝去される3日前のことでした。最後まで私自身を見守り励ましてくださり、感謝の思いでいっぱいです。毎年、担任した子どもたちへの“はなむけ”として「君が自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。あなたが自分で自分を見捨ててしまっても、私は見捨てない」との、大好きな創立者の言葉を贈っています。この心で、これからも子どもたちに精一杯、誠実に向き合っていきます。苦しくてもやり抜いた通教での4年間が、今も目に浮かぶ学友たちの姿が、そして創立者との絆が、今日も私に、困難を乗り越える勇気を与えてくれます。合唱部の練習の様子合唱コンクールへの出場卒業生インタビューGraduate 人生を変えてくれた恩師「今」できることを全力で子どもたちと勝ち取った「金賞」竹永 亮太さん卒業生 福岡県在住Tukyo
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