学光Vol.8 秋号(一般公開用)
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818LIGHT OF LEARNING vol.高校3年生の時。陸上の短距離でインターハイに出場した私は、創大陸上部へスポーツ推薦で入学ができないか問い合わせました。しかし、長距離選手しか採らないということで私は別の大学にスポーツ推薦で進学しました。そこで遊びを覚え、絵に描いたような自堕落な日々に。ケガもあり、2年で退学しました。進学を喜んでいた両親のいる実家に戻ると、少し申し訳なさもあり、気休めにでもなればと、1996年に創大通教へ入学することにしました。当時放送されていた某トレンディ俳優主演の弁護士物のテレビドラマに影響されて法学部へ。将来や今後のことなど何も考えていませんでした。入学後も勉強はせず、東京の大学に進学した友人に会う目的で、スクーリングに参加。茶髪にピアスで、教室の一番後ろに座っていると、声をかけてきた奈良県在住の林君とヤル気の無さで意気投合。その日から林君と八王子駅界隈で夜な夜な遊び、翌年も遊ぶのを楽しみにしていましたが、再会した彼は大成長しており、私を大激励してきたのです。「そんな林君には会いたくなかった」と思いつつ、真剣に人生を考えるきっかけになりました。同じ1997年、アメリカのロス分校(当時)での海外スクーリングに勉強よりもショッピングを目的に参加。しかし、その際に訪れた「サイモン・ウィーゼンタール・センター」で衝撃を受けました。当時の私は夜遊びで行ったクラブで知り合った日本で働く外国人の友達も多く、人種や民族を理由として悩み苦しむ現実を垣間見ていました。展示を見学し、その方々の顔が脳裏をめぐり、何もできない自分の無力さに涙があふれました。物事の捉え方が一変し、創立者の偉大さを肌で感じられたのもこの時です。海外で“外国人”としての生活を経験しようと、翌1998年3月から1年間、オーストラリアで就労。通教生だからこそ許される自由で充実した学生生活でしたが、卒業に向けての勉強という意味では、ほぼ進展のない3年間でした。帰国後は一気に“通教モード”に切り替えて学修に励み、2001年3月に、善友・林君と共に卒業することができました。勉強、特にレポート作成に必要なのは(性格にもよりますが)“勢い”と“覚悟”だと思います。私の場合は「このレポートを書き上げるまで、絶対にご飯を食べない」等と決めて取り組んでいました。この間、測量関係の資格を取り、地方公務員採用試験に合格出来た要因も“勢い”と“覚悟”だったと思います。鈴木さん(左)と友人の林さん(右)(1999年の夏期スクーリングにて)卒業以来、三重県で働き、2011年から団体職員に。そして2017年からは縁あって三重県の指導員を担当させていただくことになりました。本年1月には三重県光友会総会を対面で開催。再会を喜びあう通教生の皆様から、定期的に集まり触発しあう場を、とのお声をいただき、概ね月1回のペースで開催する「光友会学習会」をスタートさせました。自分の経験からも、通教生同士がつながり、励ましあえることが、大きな力になると考えています。先日は、今年入学された70代の方から、学光ポータル等の使い方を教えて欲しいと頼まれました。私の在学中とは全く違うため戸惑いましたが、一緒に説明を読みながら、無事に進めていくことができ、大変に喜んでいただけました。横で拝見していると、通教生の皆様が本当にうらやましく、私も、もう一度通教で勉強したいな、と思っているくらいです。今後も、共に学ぶ姿勢で、通教生の皆様と歩んでまいります。三重県光友会の学生と共に Interviews“親への気休め”で通教へ“出会い”が人生を変えた三重県の指導員として鈴木 巧さん卒業生 三重県在住 St■y

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