学光Vol.8 秋号(一般公開用)
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連載第2回 創価教育と通信教育の歴史第2回2519251925『高等女学講義』1学年分のテキスト。池田大作記念創価教育研究所所蔵1903年に『人生地理学』を出版した牧口常三郎は、その後『教育』(茗渓会)の編集、弘文学院の講師、私立東亜女学校の講師などの職務の傍ら、1905年5月28日に女性のための通信教育団体として大日本高等女学会を設立しています。1899年2月8日には、高等女学校令が公布されます。この法令によって、高等女学校は女子中等教育機関として独立した学校令をもって設置運営されることになりました。以降、高等女学校は著しい振興がみられることになりますが、すべての入学希望者を受け入れるまでには至りませんでした。大日本高等女学会は、高等女学校への通学が困難であったり、学資に困窮したりして、女子中等教育を満足に受けることの出来ない女性たちに修学の機会を提供しました。月謝は廉価で、修学期間は2年間(後に1年半に短縮)。牧口は主幹として、講義録『高等女学講義』(発行兼編集人は牧口常三郎)を発行しました。講義録の執筆陣も著名な教育家を■え、内容は分かりやすく、行き届いたものとなっています。この講義録は月2回発行で、第1号から第12号までの1学年分のテキストが半年間で配布されています。講義録では、牧口は第2学年の外国地理を担当しました。また毎月発行の雑誌として『家庭楽』があります。『家庭楽』は、立ち上げたばかりの大日本高等女学会をアピールし、入会希望者を増やす役割を持っていました。『高等女学講義』は、各科目の内容だけでなく、小説なども掲載されていました。その中に教育家・豊原南村の「小説蘭子」という作品があります。これは、蘭子という女性が大日本高等女学会で学ぶ様子を描いたものです。編者の牧口はこの作品に「全国に亘る熱心なる我会員の情態を写して遺憾なきものゝ如し。」とコメントを付しています。主人公である17歳の女性・岩谷蘭子は山間の辺鄙な場所に住んでいて、毎日、両親と家事や畑仕事をして暮らしています。東京に遊学中の姉と仙台の中学校に在学中の弟がいるのですが、蘭子は、きょうだいの学費を考えて、自分の進学を踏みとどまりました。ある時蘭子は姉が東京から送ってくれた『家庭楽』を愛読しているうちに、大日本高等女学会の存在を知ります。姉から同会の評判を聞き、早速入会を決意して、節約して貯めたお金を当てて入学します。朝起きて家事の合間に講義録を読み、人が昼寝を貪る時に調べ物をし、夜は人の雑談の間に復習して、日夜怠らず学習を続けました。蘭子の成功を聞きつけ、同会の会員や卒業生が集まるようになり、同会の支部が結成されます。支部会員は定期的に交流を続けて互いに学習を助け合いました。そして、蘭子は女子高等師範学校に入学することを決意します。それは、高等女学校の通学課程で学んだ女性より、却って講義録等で独学した者が確実な知識を備えていて、実際的であるという評価があることを知ったから創価大学非常勤講師岩木 勇作大日本高等女学会の設立通信教育部は2026年に開設50周年を迎えます。本連載では、通信教育部50周年に先立ち、改めて、創価教育と通信教育の結節点である牧口常三郎、戸田城聖、池田大作という人物を歴史的な視点から深掘りし、創価教育における通信教育の意義を明らかにしていきたいと思います。牧口常三郎と通信教育創価教育と通信教育の歴史

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