学光Vol.8 秋号(一般公開用)
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LIGHT OF LEARNING vol.820大日本高等女学会が発行した雑誌。同教育研究所所蔵<参考文献>安田生「教育茶話会記事(第拾三回)」(『教育界』第5巻第5号、金港堂、1906年)天使救世軍「各種講義録の反面」(『学生タイムス』第2巻第3号、学生タイムス社、1907年)豊原南村「小説蘭子」(『高等女学講義』(第5回)第2学年第3号、大日本高等女学会、1907年)文部省編『学制百年史』帝国地方行政学会、1972年『牧口常三郎全集』第6巻、第三文明社、1983年塩原將行「創立者の大学構想についての一考察(1) 通信教育部開設構想とその沿革」(『創価教育研究』第5号、創価教育研究センター、2006年)「創価教育の源流」編纂委員会編『評伝牧口常三郎』第三文明社、2017年です。ここに何か教育方法等の原因があり、この原因を明らかにするには教育者になるしかないと考えました。以上がこの作品のあらすじです。小説の体裁をとる形でロールモデルの蘭子を通して同会の理想像が描かれています。また、この作品の中では、学習の方法に注意するようにと具体的に項目を挙げて呼びかけられています。その一つを紹介すると、一時に多くを学ぼうとせずに、少しずつ継続して学習し確実な知識を得るようにすること。その次に復習をして、応用することが大切である、ということが述べられています。現代でも通用する見解といえるでしょう。『家庭楽』は1907年11月頃までは誌名が確認できます。以降は後継誌の『大家庭』がその機関雑誌的役割を担ったようです。「大家庭」はちょっと聞き慣れない言葉かも知れませんが、当時、学校や国家などを形容して「大家庭」と表現することがあったようです。『大家庭』は、1908年8月頃に『女子学芸雑誌』と改題されますが、この時期には牧口は病を患っていたようで同会から離れています。1907年2月刊の『学生タイムス』(学生タイムス社)には、「各種講義録の反面」という記事が掲載されており、大学や各分野の講義録を批評しています。その中で大日本高等女学会のほか、大日本女学会、大日本淑女学会、帝国高等女学会、家庭女学会といった女子通信教育の各団体も取り上げられています。記事によると大日本高等女学会は「講義の内容平易にして懇切趣味をも具備し編輯の苦心思ひやらる。また時々府下に会員の集会を催し質疑応答実地演習をなしつゝありとか。信用するに価す。」と当時のほかの女子通信教育団体と比べても高い評価を得ていたようです。各団体の学修期間は多少違いがあるものの、1年〜2年間となっています。通学課程の高等女学校は4年制なので、その約半分の期間で同程度の内容を学ぶことが出来ます。いつでも、どこでも学べる通信教育は、学ぶ機会を得ることが出来なかった女性にとって希望の存在だったのでしょう。また、それは女性に限った話でもありません。同時代の新聞、特に地方紙を見ると、ほぼ毎日と言ってよい割合で、大学講義録等の通信教育の広告が掲載されているのを確認することが出来ます。それだけ反響が大きく、需要の見込める事業だったということが言えるでしょう。牧口常三郎は、従来の一日の内容を半日で修めるようにし、半日働いて、半日学ぶという「半日学校制度論」を1932年に出版した『創価教育学体系』第3巻の中で提唱しています。創価教育学の研究は、一日の内容を半日に修めることが出来るようにするためにありました。この半日学校の構想を牧口はすでに1906年に『教育界』という教育雑誌の中で語っています。大日本高等女学会を立ち上げた翌年の事です。牧口は、どこから一日の内容を半日で修めることができるという根拠を得たのでしょうか。一つの仮説として、大日本高等女学会ならびに通信教育の成果によるものということが考えられます。実際に、大日本高等女学会では、通学課程で4年間をかけて学ぶ高等女学校の課程相当の内容を、2年間あるいは1年半で学修することに成功していたわけです。もちろん、成功事例ばかりではないと思いますが、牧口が、この成功の原因を究明して教育界に貢献しようとしていた、という見方はあながち的はずれとも言えないでしょう。そのように仮説を立てて「小説蘭子」を読むと、蘭子と牧口の問題意識が通底していることに改めて気づかされるわけです。通信教育の興隆半日学校制度論

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