学光Vol.9 冬号(一般公開用)
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16苦しい勉学の支えとなったのは、創立者が築いてくださった「人間教育」ならではの“絆”と“教育環境”でした。全国の学友と交流し、今も毎日のようにメールで連絡をとりあう友人ができました。また、創立の精神に貫かれた教職員の方々の振る舞い。授業での人間味あふれるお話に尊敬の念を抱いていたある教員の方は、福岡での地方スクーリングの際、あいにくの雨に私が駅前で困っていると、後ろから傘をさしかけてくださいました。子どもの頃、働き疲れて勉強に身が入らず、教師から罵倒されてばかりだった私に、「ここまでしてくださるのか」と、思わず涙があふれました。さらに、八王子のキャンパスの緑の豊かさ。スクーリングで滞在する寮で、朝起きて、窓から見える緑の葉がまぶしく、“今日もがんばって学んでくるんだよ”と語りかけてくれるように思い、授業についていけず不安な時には、キャンパスの木々が“大丈夫だ、落ち着いて取り組もう”と励ましてくれるように感じました。粘り強く学問に取り組むうちに、いつしか、自分自身の変化に気がつきました。テレビが大好きで、中身は乏しいけれども気楽に見られる番組に何時間でも見入っていたのが、報道番組やドキュメンタリーなど、教養を深められる番組以外への興味がなくなりました。幼い頃から苦労を強いられたことで抱え続けていた、世間への恨めしさのようなものも消え失せ、「あの苦しい日々は、自分を鍛え上げるための、かけがえのない経験だったのだ」と、素直に思えるようになっていました。卒業の見通しが立ちつつあった2019年の春、4回目となる脳梗塞を発症。退院後、困難を乗り越えて学び続ける姿を多くの人に知ってもらってはどうかと周囲にすすめられ、体験を新聞の「声」の欄に投稿、7月に掲載していただきました。8月、夏期スクーリングの開講式に臨むと、なんと創立者がメッセージの中で私が投稿した内容を引用して紹介してくださったのです。メッセージでは「九州の70代のある通教生の方から、闘病などの苦難を勝ち越え、無事卒業のめどが立ちましたという、嬉しい報告を伺いました。(中略)『学び続ける人』は、常に若々しい。『学び続ける人』は、決して行き詰まらない。『学び続ける人』は、必ずや栄光の道を勝ち開くことができる」とありました。創立者が私のことを暖かく見守ってくださっていたことに、あふれる感動をおさえることができませんでした。創立者にいただいた指針のままに、卒業後、引き続き通教文学部に入学。最愛の妻の死、そして、コロナとインフルエンザの同時感染で生命の危機に直面するなど、苦難は続きましたが、2024年3月に卒業。取得した日本語教員の資格を活かし、現在、宮崎市国際交流協会の日本語教室でインドネシアやベトナムの青年たちに日本語を教えています。若い頃、ろくに勉強ができなかった私に「こんな使命があったのか」と驚いています。現在も、科目等履修生として通教に籍を置いているのは、前途有望な青年たちに関わるのに恥じない教師であり、人間でありたいと思うから。“現実を生きながら学び続ける”という理想の生き方の実現に、創大通教ほどふさわしい場所はないと、いま、心の底から実感しています。“卒業証書を手にしたから、学びが終わるのではない”、これが、いまの私のモットーであり、誓いです。宮崎県在住「学び続ける人」でありたい“死の淵”で目覚めた向学心 通教との縁は、わが身に襲いかかった病魔を抜きに語ることはできません。脳梗塞で重体となり、生死の境をさまよった病床で読んだ小説『新・人間革命』につづられていた「私の生涯の仕事は教育です。それに賭けているんです」との創立者のお心に触れ、「ご恩返しをせずには死んでも死にきれない」と、2015年4月に教育学部に入学しました。家計を支えるため小学生のころから働き、高校を卒業してすぐに社会に出た私は、入学当初、教科書の内容がつかめず、「もう無理だ」という思いと、「やめたら一生後悔する」との思いで、心の葛藤が続きました。「人間教育」が自分を変えた

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