学光Vol.9 冬号(一般公開用)
19/22

18高校で生徒たちとSDGsに取り組む(右端が西原さん)大学卒業後、那覇市内の大手ホテルで勤務していた1988年2月。5年ぶりに来島された創立者ご夫妻より、励ましをいただく機会がありました。出会った一人ひとりと心を通わせ、あらゆる人を味方にされる、創立者のお振る舞いを目の当たりにし、私も社会に貢献できる力ある人材に成長したい、その為にもう一度大学で学んで本物の力を身につけたいと心から発心しました。当時、近い将来沖縄で、全国に先駆け「第1回創価同窓の集い」が開催されることが発表され、私もぜひその場に集いたいと誓い、この年の4月に法学部法律学科に3年次編入学。必ず最短の2年で卒業し、創立者に再びお会いしたいと目標を定め学習をスタートしました。仕事や地域での活動を終えたあと、深夜から始める猛勉強。夜明け前まで無我夢中で学びに徹した日々は、通教の学びの中で「生きた学問」を身につけ、生涯学び続けることの大切さを生命に刻むことができました。努力の結果、目標の2年で卒業。1991年に創立者をお迎えし開催された「沖縄創価同窓の集い」に、創友会の一人として創立者のもとに集い、記念撮影をしていただいたことは生涯の金の思い出です。学習を進めるためには、何の為に学ぶのか明確な目標を持って挑戦していくこと、日々の学習の継続、一歩前へ進む勇気の大切さを学びました。私はこれまで長い間、平和人権活動に取り組んできました。それは通教で平和人権教育である創価教育を学んだことが原点です。創価教育の理念、創大建学の精神を学ぶ中で、創立者の語られた「『平和』の二字だけは生涯忘れてはならない。『平和』というものをいつも念頭において、一生懸命、力をつけてもらいたい、これが私のお願いです」また「教育も、文化も、宗教も、すべては、人間の幸福のためにあり、平和のためにある。創価教育の使命もまた、人びとの幸せのために、社会に貢献し、世界の平和を創造していける人材を育むことにある」との指針に感動。家族の介護のため実家のある石垣島に戻った時、「沖縄県平和祈念資料館」の分館として石垣市に開館する「沖縄県立八重山平和祈念館」の学芸員にとのお話をいただき就任。そのことがきっかけとなり「八重山戦争マラリア」の実相を後世に語り継ぐ活動を始め、「八重山戦争マラリア遺族会」事務局長・副会長、沖縄県平和祈念資料館運営協議会委員、沖縄県復帰記念「子や孫につなぐ平和のウムイ事業」選定委員、平和作文コンクール審査員、石垣人権擁護委員として、微力ながら社会貢献に尽力してまいりました。法学部で身につけた問題解決能力や物事をさまざまな視点から考える力は社会に出て役に立つ力となり、長年家庭裁判所調停委員を務めさせていただいております。小中高での平和学習・人権教室講師を務め、地元高校生・県外修学旅行生との文化交流、「平和コンサート」や平和創造のための企画展の開催、FMラジオで絵本の読み聞かせを通し良書の紹介など、平和の文化を推進し、次世代への継承活動に取り組んできました。現在は地元県立高校で教壇に立ち、SDGsを取り入れた授業がメディアで紹介されるなど環境教育に取り組んでいます。通教に入学し学んだ日本語教育の知識を活かし、‥ОDAで来島する海外研究員や家族との異文化交流、高校で学ぶ外国人生徒、海外からの技能実習生への日本語指導にも携わっております。創大通教は何よりも学生第一で、それぞれの学生の立場や現実に寄り添った、きめ細かな手厚いサポートを提供してくださる「人間主義」こそ、最大の魅力だと実感しています。私自身、親身になって相談にのってくださった指導員の姿を模範としながら、通教生お一人お一人の状況に寄り添い、目標達成まで共に歩み、安心と希望を与えられる指導員を目指してまいります。通信手段が発達した現在、多様な学びに対応する通信制大学のニーズは高まってきております。私も日々接する高校生や未来を担う若い人たちに、創大通教の魅力を自信をもって語っています。創立者は「人びとの意識の改革がなされてこそ、『人権の世紀』は開かれる」と仰られ、「未来を展望する時、国家発展の因は『教育』であり、知性の人が増えることは、より多くの人びとが社会の本質を見抜き、『善』と『悪』とを明確に判断できるようになる」と、「教育」の重要性を教えてくださっております。生涯、創価教育の体現者を目指し、知恵と慈悲、勇気の生命を開き輝かせ、価値創造の勝利の人生を歩んでいける創価教育の偉大さを語り抜き、証明できる人生を貫いてまいります。 Interviews Interviews創立者の姿に入学を決意「平和のため」こそ創大精神卒業生インタビュー創大通教は「人に寄り添う」 Story Story

元のページ  ../index.html#19

このブックを見る