vol.94創立者と周恩来総理との会談の意義について講演(2024年8月)東京・両国の日大講堂(当時)で日中国交正常化提言を発表(1968年9月) ⒸSEIKYO SHIMBUN第2点目に、周総理は「今の中国は、まだ経済的に豊かではありません。さらに努力しなければなりません。その結果が世界に貢献をもたらしてゆかねばなりません」と述べました。これも創立者の68年提言が背景にあるように思います。創立者は68年提言の中で、中国は経済建設の途上にあり、侵略戦争を起こす余力がないとしながら、中国に世界の平和と繁栄への貢献を呼びかけていました。創立者は、自身の世界民族主義の一端、即ち国家や民族は国際的視野に立って、平和のため社会の繁栄のため、文化の発展と進歩に貢献する、それが新しい価値ある民族であるとの内容を表明しています。この理念に基づき、周総理も中国の経済建設と世界の平和への貢献を強調されたところに、68年提言への共感を感じます。第3点目に、周総理は「中国は決して超大国にはならない」と述べました。これは、当時の日本の保守派の「中国は侵略的」という認識への反論と解釈できます。創立者は毛沢東主義を中国の伝統的な価値観の上に立脚した民族主義であると理解し、ただ単にマルクス・レーニン主義として見ることは本質を見誤まってしまうと述べ、当時の国力や経済建設の段階から判断して中国は武力による侵略は行わないと結論付けました。周総理の発言は、創立者の見解への賛同の表れといえます。第4点目に、周総理は「中日平和友好条約の早期締結を希望します」と述べました。創立者はかつて周総理のこの発言に対して、政治家ではない私に、何ゆえに条約締結の問題を提起されたのか不思議に感じたと述べています。それは以下紹介する創立者が提起した日本政府がとるべき政策が、周総理から見て論理展開が理にかない周到で明確であったからではないかと考えています。創立者は国交正常化に向けて、その具体的な内容として、①中国政府の存在を正式に認めること、②国連における正当な席を用意すること、③文化や経済交流を推進するという、3点を述べています。当時、日本政府は1952年に台湾と日華条約を結んでいるので、日中講和問題はすでに解決済みとの立場をとり、中国との国交正常化には慎重でした。しかし創立者は国交正常化の対象の実態は大陸・中国の7億1000万人の民衆にあるのだと述べられたのです。周総理の「以民促官(民を以て官を促す)」という考えと共鳴するところがあります。また、国連から地球全人口の1/4を占める中国が排除されているというのは欠陥であり、その解決が本当の意味での国連中心主義だと述べています。創立者の国連中心主義の表明でもあると思います。さらに、文化や経済交流を更に進めるべきだという主張の部分ですが、日中貿易に携わる者に政府系資金を使わせないという1964年に吉田茂元首相が蒋介石の秘書に送った吉田書簡の廃棄を主張しています。創立者は両国の指導者に対しても交渉の具体的な方法論を述べています。即ち、まず初めから両国の首相、最高責任者が話し合って、基本的な平和への共通の意思を確認し、大局観、基本線から固めていく。そしてそれから細かい問題に及んでいく。この演繹的な方法でいくことが、問題解決の直道であると。このように創立者が日本政府に訴えた国交正常化に至るプロセスは、極めて周到に準備されたものであった
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