たから学光の碑値は生まれる」と刻まれています。い。開拓の道は険しくも、その向学の軌跡は、創価大学の名とともに永遠に顕彰されていくことでありましょう。」(前掲「創価教育体現の第一期生たれ――働きながら学ぶことこそ適切な環境条件――」6頁)という言葉で締めくくられていくのですが、この「皆さんこそ、通信教育部の創立者」という呼びかけは、学生のみでなく教職員をも含むもので、文字通り「創立者」としての奮闘を求めるものでした。通信教育は、自学自習が基本です。学校に集まる機会は限られています。時間や場所を選ばない反面、通教生同士で顔を合わせることも少ないのです。また普段は、仕事や様々な活動に従事している通教生は、日々の生活に追われて学業が手に付かないことも稀ではありません。通信教育部は、全国に散らばっている通教生をどうやって組織し、創立者の池田に繋げていくのかという難題を据えて出発していきます。「創立者」のバトンを受けついだ、ある職員は、全国を回って通教生のグループを組織していきます。これが基になって各地に光友会が作られていきます。また、ある職員は当時、大学や周辺に宿泊施設等が整ってない状況を考慮して、大学行事に参加する通教生を自宅に泊めてその奮闘を支えていました。そういった地道な奮闘の連続の中で、池田の通教生への思いが共有されていきました。池田も「創立者たち」に応えるように、通教生を激励していきます。1976年8月18日、初めて迎えた第1回夏期スクーリングに駆けつけ、各教室を回って「第一期の通信教育の学生として、真剣なそしてまれにみる向学の姿を拝見して、私は創立者として大へんよろこんでいます」、「学長を通じて皆さん方の報告を受けています。私もひとしお大なる期待と、ひとしお大なる応援を惜しみません。私もそういう勉強をしてきました。1年間で普通の学生がやるところを、2週間前後で吸収できるよう努力してください。また来年も再来年もわが母校を愛して、学問を修得していただきたい。大変もり上がった教育であり、学問の最中にお邪魔して申し訳ありませんでした。お体を大切にしてがんばって下さい。」、「来年も再来年もわが母校を愛していただき、社会の労働と勉学を一致させてほしい。みごとな理想的な学問、学生としての卒業という栄冠を勝ちとっていただきたい」(「第1回夏期スクーリングダイジェスト」『学光』第1巻第7号、1976年10月、32~33頁)と声をかけています。また同日、通教生の代表者らとブロンズ像の前で記念写真を撮っています。池田は、1971年の創価大学の開学に際して、アレクサンドル・ファルギエール作の天使と印刷工、天使と鍛冶職人の2つのブロンズ像を寄贈しました。そのブロンズ像の碑文には、それぞれ「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな」「労苦と使命の中にのみ人生の価理想(天使)と現実(労働者)の調和を象徴するこのブロンズ像は、創価大学の使命を見事に表現したものでした。天使と鍛冶職人のブロンズ像の前で記念写真を撮った通教生のグループは、その碑文から名前をとってその場で「通信使命会」と命名されました。北海道、東北、関東、東海、中部、信越、関西、中国、四国、九州の各方面の代表として選ばれた男性5名、相談に行きました。」(岡安博司「創価大学の開学を語る―創立者の大学構想を中心に―」(『創価教育研究』第5号、創価教育研究センター、2005年、178頁)と証言しています。1971年に創価大学は開学と同時に通信教育部を開設するつもりだったのですが、前例が無いため断られ、卒業生が出てから再度申請をすることになりました。ただし、岡安氏は、既設の学部を土台にして通信教育部を作るという前例を踏襲する判断は、開学1年目で通信教育部も開設した場合の混乱を考えると、結果的に間違っていなかったとも述べています。第1回目の卒業生を待って、ついに1976年5月16日に通信教育部が「開学」します。池田は、当日の開学式に参加することが叶わなかったため、通信教育部開学式のメッセージをテープに吹き込んで届けました。「5月16日は、重大な歴史の日となりました。晴れやかな開皆さんの入学を心よりお祝い申し上げます。通信教育部の設置は、創価大学設立の構想を練りはじめて以来の、私の念願でありました。」(池田大作「創価教育体現の第一期生たれ――働きながら学ぶことこそ適切な環境条件――」『学光』第1巻第4号、創価大学通信教育部、1976年7月、3頁、傍点引用者)で始まるメッセージを、原稿の代読ではなく池田自身の声で聞いた通信教育部の第一期生は、感激したそうです。さらに池田がどれだけ通信教育部を重視していたかを理解するために、「開学」という言葉に着目したいと思います。大学が通信教育部を新たに設ける場合、一般的には「開設」や「設置」などの表現が用いられます。実際、上記のメッセージの中では、通信教育部の「設置」とも表現されているので、見逃してしまいがちですが、池田は、通信教育部を「開学」という位置づけで考えているのです。「開学」は通常、新しく学校が創立される時に用います。池田は通信教育部の20周年特別寄稿で、間違いなくはっきりと「通信教育部の設置は、創立当初からの私の念願で、いわば『第二の開学』ともいうべき慶事でした。」(池田大作「開設20周年特別寄稿 真の教育は働き学ぶ人生の中に」『学光』第20巻第2号、1995年5月、4頁)と、創価大学の通信教育部を「第二の開学」と意義付けているのです。大学と同じ4月2日ではなく、あえて5月16日に開学式を設けたのも「第二の開学」という意識からだったのではないかと推察することができます。池田の開学式のメッセージは、「どうか第一期生の皆さんこそ、通信教育部の創立者であります。それを忘れないでいただきた、誠におめでとうございます。また、学式・・・vol.1218通信教育部の草創期
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