一般公開用「学光」春・夏 号
17/18

20weivretnI娘との約束、創立者との約束を果たすことができました。■卒業を目指して▼入学式に参加した娘さんがブロンズ像前で■宝の日々 娘は、小学校、中学校を通して演劇に強い関心をもち、東京の劇団「風の子」に入団し、18歳で一人暮らしを始めました。劇団の活動に打ち込んでいる中、「創価大学で勉強したい」と話すようになり、2006年に通教の正科課程入学資格取得コースに入学しました。 娘が同コースで学んでいた一年間は、石巻から何度も何度も東京に行きました。娘が学光祭の役員を張り切って頑張っていた姿、創価大学のキャンパスを一緒に散策したこと、レポートの提出締め切りがギリギリになって大学まで一緒に行ったこと、すべてがかけがえのない娘との宝の日々です。そして、必要な単位を修得し、翌年に正科生として入学することができました。■40周年特別寄稿 2016年5月に創立者が執筆された通信教育部開設40周年特別寄稿「信を通い合わせ人間教育の大道を」に、私と娘のことを綴ってくださいました。■娘の遺志を継いで 2011年3月11日。東日本大震災が発生し、私が住んでいる石巻を津波が襲いました。 教育学部の4年生になっていた娘は石巻に戻っていました。津波が来る前、小学校に避難するために急いでカバンに必要な物を詰めている中、「もう少し準備して行くから、おばあちゃんと先に行って」と娘に伝えました。娘と手押し車を押す義母が並んで歩く後ろ姿。それが、二人との最後の別れとなりました。 娘と義母の死をそのまま終わらせたくない。大変な状況でしたが、娘が卒業できなかった創価大学通信教育部を、私が LIGHT OF LEARNINGvol.120 Interviews 創大通教に学ばれる愛娘を、東日本大震災で亡くされた宮城県石巻市のお母さまが、その遺志を受け継がれて、通教に学ばれております。東北の通教家族の慈母として皆を温かく励ましてくださっていることも、涙の出る思いで伺いました。 通教の皆さん方が、これから無数に続く学友たちとも、限りなく「信」を「通」い合わせてくれる未来を、私は思い描いております。 今、厳しくも楽しき「自己との闘い」に粘り強く挑みながら学び、「心の財」を積まれている皆さんへ、そして将来の通教生たちに、私は、若き日から大切にしてきた法華経の一節を贈りたい。「忍蔵あり」と。辱の大にんにくたいりきちえほうぞう力智慧の宝たから卒業式の日に家族とブロンズ像前で 2022年3月に法学部を卒業された加藤幸子さん。東日本大震災で通信教育部生であった娘さんを亡くされ、その遺志を継いで、震災直後の4月に法学部に入学。苦節11年を経て、卒業の栄冠を勝ち取られました。その思いを継いで卒業しようと決めました。 震災の影響で多くの人が生活の再建に悩んでいました。法律の知識を身につければ人助けにつながると思い、法学部に入学を決めました。 2011年の夏期スクーリングから学修を開始し、女子寮の入寮式では前に出て決意発表をしました。私が石巻から来たということで、寮の部屋には勉強ができないくらい沢山の方が来てくれました。その後もスクーリングに参加するたびに、沢山の友人ができました。多くの方が、「加藤さんから元気をもらったよ、励まされたよ」と言ってくれました。 創立者は、娘のこと、私のことを本当に分かってくださり、激励してくださりました。卒業生加藤 幸子さんその後も法律用語に悪戦苦闘しながら学び続けました。六法全書を読むのにも、拡大鏡を使いながら、必死に学びました。 2020年からは、新型コロナウイルスの影響で、オンラインでの学修が中心となり、慣れないキーボードでの文字入力は大きなハードルとなりました。それでも娘から「お母さんがんばって」との声が聞こえるようで、諦めようとは思いませんでした。そして、2022年1月の科目試験で最後の2科目を受験し、卒業に必要な単位を全て修得することができました。 そして迎えた3月の卒業式。娘と義母の写真を膝に乗せて一緒に学生歌を歌い、「やっと卒業できたよ。やっと夢を叶えたよ。安心してね」と伝えることができました。娘が入学式の時に写真を撮ったブロンズ像前でも、娘の写真と一緒に撮ることもできました。 娘に支えられ、ともに歩んできた11年間。娘との約束、創立者との約束を果たすことができました。 今後は大学で学んだ経験を生かして、生活に困る地域の人たちや、家庭環境に困難を抱える子どもたちの役に立ちたいと思っています。02Story

元のページ  ../index.html#17

このブックを見る